全日本選手権大会
全日本ウエイトリフティング選手権大会
1936年 (昭和11年5月31日)
全日本体操連盟主催の下に,第1回 全日本重量挙選手権大会を金晟集、金容星、の2選手を迎え6名の 日本選手とともに
代々木の体育研究所で開催した。 そして同日、日本重量挙連盟が結成された。
その後1937年、 昭和12年(第2回大会) ~1940年、昭15年 (第5回大会)と大会は続く
1941年 ( 昭和16年)
(第6回大会)が中止となりこの年から1941年( 昭和20年)まで大会が実施する事はなかった。
この年日本重量挙連盟、解散を余儀くされた。
1946年 (昭和21年3月)
日本ウエイトリフティング協会と改称し再出発する。その年 第1回 国民体育大会に参加し 同時に
第6回全日本選手権大会を兼ね、全日選手権大会は再び開催された。
1953年 (昭和28年)
国民体育大会に兼ねて実施していた全日本選手権大を分離独立して開催した。それ以後毎年開催され今日に至った。
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重 量 挙 競 技(ウエイトリフティング) あれこれ
1933年(昭和8年)、嘉納治五郎IOC委員がウイーン会議の帰途バーベルを購入。
また翌年にはオーストリアから国際基準のバーベル2個が到着。
1936年の第11回オリンピック競技大会ベルリン大会を前に大日本体育協会宛に送られたルールブックの中から、
重量挙競技に関するルールの翻訳を行なった。
1936年5月31日には全日本体操連盟主催のもと、第1回全日本重量挙競技選手権大会を開催。また同日、
日本重量挙連盟が結成されました。
翌1937年には全日本体操連盟から独立創立された日本重量挙連盟が誕生。1938年には国際重量挙連盟に加盟。
戦後の1946年には名称を(社)ウエイトリフティング協会と改称。
その後1950年に国際ウエイトリフティング連盟に再加盟。
連盟としては1952年の第15回ヘルシンキ大会に初参加することとなりました。
オリンピック史上では、1896年のアテネ大会で、片手ジャーク、両手ジャークの2種目が行なわれています
さらに1904年のセントルイス大会でも片手ジャーク、両手ジャークの2種目が行なわれましたが、
当時は体操競技の1種目として実施されていて、階級分けもありませんでした。
その後1920年のアントワープ大会で初めて単独正式競技となり、種目は片手ジャーク、両手ジャーク、片手スナッチの
3種目と増え、階級もフェザー級(60kg)、ライト級(67.5kg)、ミドル級(75kg)、ライトヘビー級(82.5kg)、ヘビー級(82.5kg以上)と
5階級に分けられました。