国民体育大会
歴 史
【 前 史 】
戦前、明治神宮競技大会が1924年-1943年に行われた。冬季大会を除き、原則として明治神宮外苑
(現在の東京都新宿区・渋谷区に相当する箇所)を初めとする関東各地にて行われた。
【 創 始 】
1945年12月26日、岸記念体育館にて平沼亮三(大日本体育協会理事)、末弘厳太郎(大日本水上競技連盟会長)、
清瀬三郎、久富達夫、石田啓次郎ら戦前から競技団体の要職にあった人たちが会合し戦後のスポーツのあり方と
競技団体の組織と事業について話し合うなかで全国体育大会の開催が提案された。
1946年、平沼、清瀬らは春日弘(関西スポーツ連合会長)と懇談し理事会を結成。
実施要綱が検討されGHQの全国的な承認、政府から40万円の補助金を得第1回国民体育大会がスタートした。
第1回国民体育大会は1946年(昭和21年)から翌年にかけて、夏季大会が兵庫県宝塚市、
秋季大会が近畿2府4県、冬季大会が青森県八戸市で開催された。
戦後の混乱から日本のスポーツ振興を役目を立てようと初めて開催された。
沖縄を除く46都道府県5377人が全員、食糧を持参した。
ちなみに第1回国体の開幕日は8月9日で、長崎に原爆が投下されてからちょうど1年後のことである。
ウエイトリフティング競技は、京都府円山公園音楽堂で開催
クリック⇒ 国民体育大会歴代優勝者
s38年卒 継岡 正章
!おめでとう 国体12連覇の偉業達成!
『 好評連載 第6回力技・筋力トレーニング昔と今 』
著者 窪田 登(吉備国際大学名誉教授)
1960年第17回オリンピックローマ大会.ウエイトリフティング競技)
上記出版本において継岡選手を紹介されておりました。
『 500kgはあげられたかも。。。。。。。。。』
彼は徳島県出身で徳島工業高校時代ウエイトリフティングを開始。
明治大学に進み、学生時代は同大学ウエイトリフティング部主将、2006年からは同部監督を務めている。
大学卒業後自衛隊体育学校特別体育学生として1964年の東京オリンピックを目指した。
国体12連覇。 ジャカルタ、バンコックアジア大会(2位)この経歴を見ただけで彼が1960年時代のわが国を代表する
ライトヘビー級、ミドルヘビー級の選手だったことが分かるだろう。と褒め称え、、、、、、、、、、、、、、
最後に継岡君は、 「今にしてみると、ウエイトリフティング競技では500㎏をもち上げられたと思いますね。」
今頃こんなことを言ったって仕方ありませんけどね」と文面はは締めきってありました。
(長い文面の紹介でありましたので一部のみ抜粋紹介。)